原水爆禁止世界大会に参加して

学生の頃の授業で日本の戦争の歴史を学んでも、朝ドラで戦時中にいる主人公を思うことがあっても、戦争はテレビの中の話であるというのが正直なところでした。戦争とは無縁の生活を送れることのありがたさを思い知るとともに、今の生活がどうつくられてきたのか、今回この大会に参加して改めて考えることができました。

行く前から暑い暑いと周りから言われて着いた広島は、これまで北海道で生きてきた私には耐えられないほど。暑くて何もできない。普通に外歩いている人凄い。しおりに目を通し、そこで初めて「原水爆禁止2016年世界大会」が世界大会である意味がわかりました。

海外からこの大会に参加している人の多さ。それは大会中の挨拶や発言を聞いていてもよくわかりました。このように世界中に核兵器の廃絶を訴える人がいるということには、これまでの被爆者の活動があったからこそだと思います。誰か一人が始め、続け、繋いできたもの。それはこの先このような悲惨なことが起こらないように、誰もこのような絶望を知らなくていいようにと願った、彼らの思いの全てでしょう。

mt156.jpg この世界大会開会総会の前、北海道代表団の結団式を行いました。そこで被爆者の方のお話を聞きました。広島に行く前にも被爆体験を聞きましたが、話を聞くのはそれだけでもつらく、こわく、そんなことが現実に起こったと信じたくないようなことばかりでした。自分だったらと想像するのも苦しいものです。「本当は語りたくないような体験だけど、寿命が短いって分かって、言わなきゃいけないと思った」という被爆者もいます。被爆体験を語ってくれるのは何も当たり前のことではないのです。

世界大会広島開会総会の次の日は、分科会に参加しました。被爆者の平均年齢が80歳を越え、直接被爆者の方から被爆体験を聞く機会が減少していく中、どうやって被爆体験を受け継いでいくべきかという答えの一つとして、追体験企画がありました。グループになり外へ出て被爆証言集を読み合わせして、その後何を感じたのか交流しました。話を聞くのと自分の口で音にするのとでは、感じ方が違いました。今は何事もないこの広島で、確かに戦争があったのです。そして戦争には敗者しかいないということを教えてくれた人たちがいたから、今の気にも留めない毎日があり、それこそが平和だったのです。

過去の歴史としてだけではなく、自分のこととして捉えると、それは少し考えれば分かることでした。私は痛い思いも怖い思いもしたくない、慣れない料理をして好きなテレビを観て暖かい布団で眠る毎日が続けばいいと思う。そして大切なひとたちが誰にも傷つけられず幸せでいてくれればいい。そのためには争うことも、核兵器も必要ないとわかります。大会に参加して知った被爆者の方々の思いと、私が抱いたものを忘れずにいたいと思います。

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