ふたつの青春

昨年は、戦後70年を特集し戦没者を悼む番組を多く目にした。なかでも神宮外苑のぬかるみを行く学徒出陣の映像は、繰り返し放映され母と私を切なくさせた。

44歳で亡くなった父と重なるからである。父は敗戦まで数ヶ月という時期に学徒出陣、シベリア抑留を経て生還した。同時代の多くの青年同様、父の望んだ進路はゆがめられた。国の役に立つ学問を目指して「農業は国家の礎」と農学部に入学したが、実態は人手の足りなくなった農家を手伝う日々。学業なかばの召集で、潔く死ねるよう精神修養にと山寺で座禅もした。

戦争は父の青春を飲み込んで、復員から亡くなるまでの20年間にも大きな影響を及ぼした。「戦争は政治が起こす」と法学部で学ぶことを志したが、家庭の事情で断念し就職した。父は職場の同僚たちと、平和や働く者の権利を守る活動に打ち込んでいた。我が家に集まって語り合うおとなたちは、子どもの私から見ても熱気にあふれていた。しかし、父は家族に極寒のシベリアでどのような体験をしたのか、ほとんど語らなかった。ただ、「抑留生活で消耗しているから、シベリア帰り(の者)は寿命が短い」といっていた。40歳でガンの手術を受ける入院の前夜、「俺は結婚もした、子どももいる。十分だ」と母に語ったそうだ。同世代の多くが戦死するなかで、父は生き残り家族を持った。もっと生きたいという当然の願いも、彼らのことを思えばここまでで十分なのだと。同時に、自ら択びなおした復員からの20年間に納得して、多少やせ我慢しつつも「十分だ」と胸を張ったのだと私は思いたい。

戦後70年という節目に、政府は安全保障関連法制を推し進め、それに反対する「戦争法案廃案」の運動が全国に広がった。なかでも青年たちが、「国民の声を聴かない政治はおかしい」と声をあげた。彼らは多くの情報を自分で集めて考え行動し、街頭にたって堂々と主張して賛同者を広げていた。

70年前の青年には、どれ一つとして許されなかったことだ。政府によって戦場に駆り出された父は、選挙権も無ければ戦争の是非を考える機会も情報も与えられなかった。父が出征した当時、選挙権は男性のみ25歳からで20歳の青年に選挙権はなかった。しかし、兵役は20歳からはじまり、終戦間際には17歳以上からに引き下げられ、志願すれば17歳未満も可能となったそうだ。

今年6月から70年ぶりの法改正により、18歳以上に選挙権が与えられた。この機会に、18歳の新たな有権者に知ってもらいたい。日本には70年前、学業なかばで出征させられた学徒兵がいた。20歳で死ぬことしか選択肢がなかった若者が大勢いたのは、ほんの少し前のことだ。

生きる場所や生き方を選ぶ自由、考える自由を認めない国にならないように、みんなで注意深く隠された戦争の芽を摘み取っていく、新しい仲間がたくさん誕生することを願っている。

文責 K

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